記憶の甲殻

読んだ本、観た映画の感想を記憶にしまうブログ。

『骨を彩る』彩瀬まる

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惚れました。著者のファンになりました。

帰国したら必ず文庫を買います。手元に置いて愛でたい、本も登場人物もみんなまとめて抱きしめたい、そんな一冊。

 

こんなにも綺麗で、読者の感受性をびりびりと刺激する文章はなかなか無いはず。

芸術的で、アンニュイ。

あぁ、綺麗。めっちゃ綺麗。とぶつぶつ言いながらページをめくっていました。

 

 

心にぐぐっと来るポイントでは思わずページをスクショし、なるほどこれは電子書籍の利点かもしれないと考えつつ、活字で埋まったカメラロールを愛しく感じました。

 

なので今回は、私が特に“極まってる”と感じスクショした本文の抜粋を載せていこうと思います。

 

 

 

 

 

 

“そんな中で訪れた春先の少し暖かい日、部屋を片付けている最中に雑貨を入れた引き出しの底から、埃を被った千代紙を見つけた。なにも考えずに習慣的に鶴を折り、テーブルの上に置いておいたら、ぽつん、と世界に色が点った気がした。緑茶の缶に清々しい色彩の花吹雪を貼ったら、泥水みたいだったお茶に味が戻ってきた。手を動かしていると、乾いて引きつれていた胸の奥が潤み、ぽたぽたと温かい蜜がにじみ出すのを感じた。”

 

 

 

 

ここにいるのが美鈴だったら、バスで出会ったサクラコだったら、体の外に救済があると信じている柔らかい人間だったら、わっと泣き伏して、なんらかの胸を切り開いた正直な言葉をかけて、沈黙する死者とですら美しい和解が出来てしまうのではないか、と思ってしまう。”

 

 

 

 

ばらばらだ、と思い始めたのは、その頃からだと思う。ばらばらだ。私の体を包む世界は脈絡がなくて、私を守ってくれる約束事など何もなくて、ビーズのネックレスみたいに、一度パチンと鋏を入れてしまえばばらばらにほどける。熱を分かち合うほど隣り合っていた粒も、遠くへ、二度と出会わない箪笥の裏へと簡単に転がり消えてしまう。”

 

 

 

 

夫はなぜ通話を切らないのだろう。思った瞬間、自然と唇が動く。こわい、とか、ふあん、とかそんなありきたりな言葉がこぼれかけて、止める。そんなものじゃない。そんなものじゃないと理解して、噛み砕いて、そぐう言葉を探すのに、本当に長い時間がかかった。

「私の中で、いつも、骨みたいなものが、足りなくて」

窓に映る、すっぴんで、右目の真下にほくろがあるショートカットの女が、まるで能面のような顔で口を動かしている。夫はうながすように黙っている。息を吸い込んで続けた。

「助骨が一本足りないとか背骨が一本足りないとか、そんな感じで。別にやってはいけるんだけど、たまに、あ、ないなって。なんでか昔から、すかすかして、落ち着かなくて。足りないものを、補うみたいに、いつも力がはいって、て」

玲子ちゃんはしっかりしてる。玲子ちゃんは頼りになる。玲子に任せれば安心。玲子はうちと違うから。玲子、玲子ちゃん。

「いつか足りる、この変な状態が終わるって、ずっと思って待ってるのに、終わらないの」”

 

 

 

 

ばらばらのビーズが跳ねる間に変わったもの。普段言葉を交わす人、住んでいる場所、環境、仕事、友人たち。子供の頃、今の自分の周囲にある関係性は微塵もこの世に存在していなかったのだと思うと、なんだか気が遠くなる。”

 

 

                  引用元: 彩瀬まる(2013).骨を彩る 幻冬舎

 

 

 

 

心揺さぶる描写がこの小説には沢山ある。

疲れたときに、また読みたい。

 

新品の手帳がくれる錯覚

私には、ある癖がある。

ついついやってしまう、癖。

 

それは、手帳を買うこと。

 

既に手帳を持っていようと、今が年の真ん中であろうと終わりに近づいていようと、そんなことは関係なく、ついつい新しい手帳を買ってしまう。

 

そのせいで一冊の手帳を初めから終わりまで綺麗に使いきることに成功したことは一度もない。

 

 

この癖に隠されているのは、反抗と決意だと、私は分析している。

 

「手帳を買う」という行為には、今まで過ごしてきた日々を「過去」にしまい新たな未来を描くという目的が隠されている。

私は手帳を新たに買うことで、手帳を買う前と買った後の時間に切り込みを入れる。

それは、有無を言わさず進んでいく毎日に、自分の意思で区切りをつけられる唯一の方法に思われる。

時間という暴力への精一杯の抵抗、とも言えるかもしれない。

 

時間は、疲労困憊で蹲っている私を待ってはくれない。時間は、私の意思・行為・状態に微塵も影響されることなく進んでいく。時間は、私のコントロールの範疇を完全に超えてる。

 

「手帳を買う」という行為は、そんなことは百も承知な上で、自分の意思で人生を新たに始められたという錯覚を私に与えてくれる。

そしてその錯覚が、この先も自分の意思で強く生きていくことができるという自信をくれる。

 

私は「手帳を買う」ことで、自分には生きる意思があるということを確認しているのかもしれない。

 

『完璧な母親』まさきとしか

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 んー後味が悪い。期待通りと言えばそうかもしれない。タイトルから匂うサイコ臭。

 

前半はホラー、後半はミステリー、読了後は悲しみに沈む。誰のことも責められない、誰も救われないし、救いようがない。

 

ミステリーとしては、回収されず仕舞いな要素があったりするのでイマイチかな...?

(嫌がらせの手紙とか、金髪の母子とか)

 

なのでこの本は、ミステリーというより、正解のない母親のあり方に苦しむ母親達の悲劇として読んだ方が充実してるかも。父親の心理描写が少ないのも、母親達を追い詰める世界観を際立たせる。タイトルである「完璧な母親」は、登場する母親達への呪いの言葉なんじゃないだろうか。

 

不可抗力にも関わらず息子を守れなかったと自分を責める母親、自分の娘を守るために他人の子供を犠牲として見捨てた/殺してしまった母親、DVの夫から子供を守りきれない母親。

 

それぞれの苦しみを抱え歪んでしまった母親達に育てられ、自分の存在への疑問を抱きながら育った子供たち。

 

 

ところで、「母親」が及ぼす害や罪というのは、それが母親であるがゆえの行動だと分かった瞬間に、つまりその行動の前に「子供のため」という5文字が付け加えられた途端に、それがどんなに歪んでいてどこまでも誤っていたとしても、何故か赦されてしまう、もしくは赦さなくてはいけないような空気を醸す。

それは母の子に対する「絶対的な愛情の存在」を人間が直感的/先験的に認めているからなのかも知れない。

父の子に対する愛と母の子に対する愛とでは何処かに比にならない差異を感じる。

 

そんな事も踏まえて、どうも私には、「母親」というのは何か得体の知れない力をもった、恐ろしい存在に映る。

同じ女性であっても、「母親」を経験した者と経験していない者とでは言葉にならないレベルで何かが決定的に違うような気がしてならない。

そして私も女である以上、「母親」である側に行く可能性を持っていることが恐ろしくて仕方がない。

 

 

個人的には本当に苦手なテーマだけど手を出さずにはいられない、タイトル通りの一冊。

 

 

 

 

 

『愛を振り込む』 蛭田亜紗子

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6人の女性を描いた短編集。

その後なんとか幸せになっていて欲しいなと思わせる女性たち。

幸せが何なのかは分からないけれど、やっぱり幸せになりたいと思わせてくれる女性たち。

 

一度読むだけじゃもったいない、そんな奥行きがある気がする。

彼女はどんな人生を歩んで今に至っているのだろう。何を感じているんだろう。

主人公ひとりひとりの人生を想像する手がかりが短いエピソードには散りばめられていて、それを何度も読み返しながら拾い集めていくのが、短編集の楽しいところかもしれない。

時間をあけてまた読み直したい一冊。